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      文文の中国茶道体験記43

    

  第43回 中国茶と日本茶道 

蒸し暑い夏日が続いている上海です。そんな時は熱を下げる効果がある『菊花茶』を飲むと良いですね。また中国南方では『菊普茶』と言って『菊茶』と『プーアル茶』のブレンドも好まれています。

今回は、久々に中国茶の影響を大きくうけ大成された日本茶道の歴史を紐解いてみましょう。
最初『薬効』により広まったお茶はその後『芸術』の粋にまで達し今日に至ります。


中国茶と日本茶道

8世紀 遣唐使が日本に茶を伝える


9世紀  貴族を中心に喫茶が広まるがやがて遣唐使の廃止と共に衰退する


12世紀 鎌倉初期、栄西が当時の中国南宋から1191年に茶種を持ち帰り九州の背振山に植えたといわれている。

臨済宗栄西が日本に喫茶法を伝える

著書:喫茶養生記

栄西は1212年日本初の茶書といわれる《喫茶養生記》を著した。「茶は末代養生の仙薬。人倫の妙術なり・・」に始まり栄西の哲学として宇宙を5部に分け、それと同様人体も肝・心・肺・脾・腎の5臓に分かれ、味も酸・苦・辛・甘・かんの5味に分けられる。茶は苦くそれは5臓の中心となる心臓の良薬になると喫茶の原理を著す。


14世紀 闘茶の流行

闘茶と共にお茶が広まる
産地や良い否を当てる賭けが盛んに行われ、高価な賭物がやりとりされる
政府はこれを禁止するがなかなかやまず室町時代前期まで衰えず


15世紀〜16世紀 茶の湯の確立 創始者 村田珠林(じゅこう)

喫茶に禅の精神を融合、4畳半の茶室で茶をたしなみ、風雅の境地に遊ぶ喫茶法
継承者 武野じょうおう                 

侘び茶 茶禅一致   
大成者千利休は豊臣秀吉の寵愛を受け天下第一の茶匠と呼ばれその権威は絶対的で茶器の価格はすべて利休の目利きによってきまったといわれる。

 ・・・が豪奢な秀吉の茶と利休のわびさびの茶は次第に乖離対立するようになる。    


17世紀〜18世紀 茶道の完成 儒教思想が茶の湯に取り込まれ茶道にまで高まっていく。
         
    

上海の茶館

 最近上海では茶館が続々オープン。桂林公園内に茶館があるとの情報で行って来ました。

桂林公園内の素晴らしい環境の中に1件の伝統的雰囲気の茶館があります。
流暢な手つきで中国茶芸のお手前を披露。男性の中国茶芸、ダイナミックでなかなか良いですね。
西湖国際茶人邨

漕宝路188号

(021)5448-2677

本店は杭州でも有名です。

 

 

 

                                     2005年7月在上海 取材:文文



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