溥儀と彼を取り巻く女性「譚玉齢」(たんぎょくれい)
溥儀と彼を取り巻く女性の一人に譚玉齢(たんぎょくれい)という女性がいる。溥儀の西側であるが、もとは関東軍の最高参謀である吉岡安直が、溥儀の正妻、媛容がアヘンによって権力や政治からの興味を奪ったように、溥儀からも政治や政権の興味を無くそうと政略的に溥儀にとらせた西側である。最初、このことに薄々気づいていた溥儀はこれに興味を示さなかったが、しばらくすると溥儀自身から西側を考えてもいいと吉岡に連絡がある。溥儀は、候補者の写真の中から一番若い15歳の譚玉齢を指名する。これには誰もが驚いた。各候補者は写真の裏に自筆のPRを書いたが、その内容の幼稚さからも吉岡や側近の誰もが選ばれることはない女性だと思っていた。しかし逆に彼女の幼稚さが大人になりきれない溥儀の心に通じたに違いなかった。最初、溥儀は譚玉齢を大変可愛がった。ときどき強引な態度を取ることもあったが、気になるほどではなかった。しかし時間が経つにつれ、それはエスカレートしていった。彼は彼女の家族に対し、譚玉齢とその家族に21か条を作り、彼女と家族の直接のやり取りを禁止した。その後、ここでの生活について彼女自身がこんな風に語っている。
「家族の来宮はもちろん、家族の手紙すら受け取ることができない。私が家族への手紙を書いても彼は毎回それを確認し、生活ぶりや彼自身のことについては削除や書き直しを命じた。」
また溥儀との関係についても「彼は子供のようなところがあった。機嫌がいい時は、"おばかさんね"など冗談を言っても怒らないが、一度機嫌を損ねると"自分を皇帝と呼べ"と激しい口調で叱咤した。ある時3+2=?というような簡単な算数の問題を彼に聞いたところ"6"と答えた。私はここで"不正解"と言って、彼が機嫌を損ねるのが怖くなり"正解"と答えた。彼は嬉しそうな顔をして更に質問をねだった。」こんな風に私は何時しか、彼の子守り役をしてここで生活するようになった。
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