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〜KONOKの黄山紀行〜
第2日「迷山、黄山」

 「先生、7時です。起きてください」 フロントのかわいい服務員の声である。山あいの町で迎える朝、小姐のかわいい声で起きるのは気分がいい。着替えを済ませてロビーへ。今日は昨日の打ち合わせ通り総経理の親友ということで黄山ツアーのバスにロープウェーの駅(慈光閣)まで乗せていってもらい自力での黄山ツアーである。ロビーにはすでにツアー参加者であろう男性とガイドらしき女性が待っていた。彼らに同乗の同意を得て車へ乗り込む。男性は広州から来ており本来であれば5人でくる予定だったが、仕事の都合上メンバーとスケジュールが合なくなり一日遅れで黄山入りし観光をしているという。

バスは黄山大門、温泉街を通過し険しい山道を入っていく。途中ガイドに天気についてたずねると「上に上がってみないとわからない」という。黄山は1年のうち三分の一以上が霧や雨であり、天気の変化については長年ガイドをやっていても予測がつかないという。しかしその霧や雲によって作り出される雲海は見所の一つであり、仙境といわれる由縁でもある。そんな説明を聞いて納得し、天気のことは気にならなくなる。

ロープウェーの駅に到着、チケットと入山料を買い、いざ出発である。本来であればここでお別れだが道もよく分からないためロープウェーの乗車口まで同行させてもらう。ここから2000m、高低差700mを約8分程で上ってしまう。乗り込んですぐに後方に雲海が広がる。同乗している中国人たちがカメラを持ちロープウェーの中を動き回る。「恐い」。下を覗くと1〜200mはありそうな谷がこちらを見ている。「頼むから動かないでくれ」と思っているときロープウェーはガスの中に入り同時に彼らも静かになった。あらためて周りを見渡すとロープウェー建設当時の足場が残されている。黄山自身が大きな岩山なのでその岩の上にへばりつくように竹の足場が組まれており建設当時の苦労がうかがえる。その脇には登山道の幅の狭い石段が組まれておりボッカさん(荷物担ぎ)を見ることができた。

終着駅の玉屏楼に到着である。ガイドがロープウェーのチケットの半券を係員に渡せと言っている。係員に渡すと記念品に小袋入の小豆のほどの大きさの翡翠をくれる。隣にはきちんと加工業社が有料でそれをペンダントにしてくれる。

一時間半ほどを一緒に過ごした広州人とガイドさんともここでお別れである。お礼を言い最後に黄山最高峰である花蓮峰への道を教えてもらう。しばらく歩くと道が2本に分かれている。看板も案内もないため地図をたより道を進むと更に分かれ道である。周りの人に道を聞くがその大半が観光客のため彼らもわかっていない。結局、現地ガイドを見つける度に道をたずねるしかなった。途中道が分からなくなりガイドを待っているとバスに同乗させてもらった広州人とガイドがやって来た。事情を話すとコースを選ばなければという条件で同行させてもらうことになった。ここであらためて自己紹介をする。広州人の本名は広さんという。ガイドは草さん。黄山には道によっては人が横になりやっと通れる道がたくさんあるが「太っている人は通れないがどうするの?」と聞くと「太っている人はそこの崖の道を通り冷や汗をかいて少し痩せてもらいます」と、ユニークなガイドである。

黄山 登りはじめ約3時間で「飛来石」までくるがここまでなかなかシャッターチャンスがない。そこで40分ほど霧が晴れるのを待つがダメであった。仕方なく「排雲亭」までいくとそこには先ほどの天気からは想像もつかないほどの眺めが待っていた。
明代の地理学者で旅行家でもあった徐霞客は「5岳より帰り来て山を見ず、黄山より帰り来て岳を見ず」という有名な言葉を残している。5岳とは泰山、衡山、恒山、嵩山、華山をさし「それらの山から帰ったものは普通の山など目に入らず、黄山から帰ったものはその5岳さえも目には入らない」という意味だが、雲の切れ間から見える突き出した岩や雲海を見ていると古人の詩が現実味を帯びてくる。

しかしここを離れると再び霧である。視界は全くない。ガイドは黄山に生えている松の説明を始める。松に興味のない私は広さんとガイドが観光場所に行って帰るのを待っていた。近くで別のツアーのガイドが暑いからといって上半身裸で登っている客に注意をしているようだった。ガイドは「霧雨は体温を奪い、風邪をひくから服を着てくれ」と言っている。客は全く言うことを聞かない。すると今度は黄山の帝都伝説や文明山(常識のある山)ということを説明するがこれもダメである。あきれたガイドがついに「あなたの太ったお腹は洗礼された黄山の風景に不似合いですよ」と言うと客も恥ずかしそうに服を着た。

午後4時、ようやくもう一つのロープウェーの乗車口である白鵝嶺站に到着した。ここから終点の雲谷寺站までは全長2,804m高低差773m、約8分である。ロープウェーに乗り込み再び雲の中に吸い込まれるようにして黄山に別れを告げた。下はひどい雷雨であった。急いでバスに乗り込み町へ向かう。今日一日お世話になったお礼に広さんに夕食をごちそうしようと、途中の町で降りレストランを探す。道の端にはレストランの客引きが並んでいる。その内の一人の女の子がずっと後をつけてきて、私たちが入ったレストランに一緒に入ってきた。店長と何かコソコソと話しをして、お茶とメニューを持ってきた。あきれた私が何のつもりなのか聞くと何も言わず黙っている。店長を呼んで彼女を帰らせ理由を聞くと、収入源が観光のみの黄山一帯では彼女のような幼く学歴のない女の子ではレストランのウェイトレスの仕事でさえ見つけ難く、路上でフリーの客引きをして入った店で臨時のウェイトレスとして働くのが唯一の収入源であるらしい。レストランのお勧めメニューをみても山菜を中心としたものばかりで、決してこの土地は裕福とはいえない。「それなら…」。彼女を強引に帰したことを少し後悔した。

ホテルに帰る途中にみかんを買った。500gで1元5角(¥45円)。上海の約半値である。ホテルに戻りシャワーを浴びみかんを食べる。小学校の遠足や運動会の時に食べた懐かしい味がする。明日は今日より早い朝6時の出発である。初日のタクシー運転手に連絡しようと思っているとタイミングよく彼からの電話である。「明日は行くところが多いので6時に出発です。遅れないでくださいね。」なかなか真面目である。

ベットの中に潜り込む。みかんの食べ過ぎでなんとなくベットがみかん臭い。そんなみかんの匂いをかぎ、黄山で採れるみかんと登った山のことを考えていると今日もいつのまにか深い眠りに落ちるKONOKであった。

第3日「早起きは三文の得!?」に続く

(編集注:本稿は1998年9月28日に本サイトに掲載されました)

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