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〜KONOKの黄山紀行〜
第3日「早起きは三文の得!?」

午前5:45起床。早起きも3日目となると慣れたものである。すぐに着替えを済せチェックアウトをする。フロントの小姐はさすがに眠そうでいつもの笑顔が出てこない。朝から起こして悪いことをしたなと思いながら「また来るね」と言うと、「祝(イ尓)旅途快楽!!」と笑って送り出してくれた。今日もいい一日になりそうだ。タクシーの運転手は寝坊してはいけないと早くから玄関で待っていたようで車の中で寝ていた。「今日はまず硯で有名な端渓へ行きその周辺の古居を見た後、黄山の老街を見学し空港へ向かいます。」と言っていた。どうやら彼の中では予定ができているようである。 車は端渓に向かい朝もやの黄山を後にした。端渓までの道は山の丘陵を削って作られた狭い砂利道で、その脇には徽派の住宅が集落ごとに並んでいる。朝もやの中に浮かぶ徽派の住居が現代という時を忘れさせてくれる。一時間くらい走ると山が切れ、田園風景が広がる。収穫をいそぐ農夫の横で牛がアクビをしのんびりと草を食べている。そのすぐ脇に小さな塔を見ることができる。名前を「下尖塔」と言い、今から300年ほど前に作られた仏塔である。中に入ると壁に砂でできた顔の削られた何枚かの仏画があり、かつての繁栄を感じることができる。しかしそのすぐ下には2頭の牛が寝ている。どうやら現在は牛小屋に使われているらしい。
更に道を進むと明、清時代に作られた安徽の商人によって作られた町に着く。この町を商業都市に変えた先駆者である「鮑志道」は豆腐屋で丁稚奉公をしながら独学で会計学を学び、楊州で塩の管理、質屋などを経て徽商幇(安徽出身の商人による相互協力グループ)の基礎を作り上げる。町の入り口には彼の教えを書いた7枚の石門があり、そこを通り町に入る。町には当時の学校、裁判所、商工会議所などすべての都市機能を備えている。中国商人の原点を見るようで興味深い。

その後、李白の書斎などの名所を回り黄山市内へと向かう。埃っぽい近代的な道をまっすぐ市内へと向かう。徐々に現代に引き戻されるようである。一時間くらい走ると黄山の老街に着く。名前の通り古い街で、宋の時代から安徽の物流物資の中心として栄えている。町並みを見ても古く、上海の豫園商城のような華やかさはないが、その石畳が歴史の長さを物語っていた。店の多くは観光客相手のお土産屋である。黄山の主なお土産は乾物を主とした、干し椎茸等の乾物、黄山の緑茶、硯、竹細工等である。
そんなお土産屋を更に奥に進んでいくと庶民の自由市場や屋台などが密集している地区に出る。少し早いがこの辺で安徽の名物料理をいくつか食べてみることにする。最初に目に付いたのは洗面器の中に湯気を立てている栗である。10円玉くらいの大きさの栗を水飴と一緒に炒ってある。甘露煮のような味がしてなかなかいける(500g、5元)。

次に見つけたのは焼餅。焼餅と言っても日本の焼餅とは違う。中国の焼餅はパイ生地の中に具が入っていておりそれをフライパンやドラム缶で焼いた物を焼餅と言う。老街の焼餅はフライパンの上で焼かれている。その香ばしい香りに思わず一つテイスティング。香ばしい生地の中に野沢菜を甘辛く炒めたのもが入っている。味が少し濃い気がするが、後を引きなかなか美味い(1個、5角)。二種類の前菜を食べると本格的にお腹が空いてきた。焼餅屋の人にこの辺の名物小吃を聞くと「徽州炒麺」を勧めてくれる。教えてもらった場所に行くと徽州炒麺店が数件並んでいる。どの店も軒先に造りたての徽州炒麺の大きな鍋の中で美味しそうな匂いと湯気を立てている。店によって色が濃かったり、麺が太かったりと様々である。しかし具には共通して赤唐辛子、ねぎ、ニラ、もやしが使われている。とりあえず一番清潔そうな店に入る。座るとすぐにどんぶりに入った干しえびとねぎのスープと徽州炒麺(500g)が出てきた。味の方は醤油ベースの胡椒風味で日本人にも食べやすい。しかし生の赤唐辛子が間違って食べようなら口から火が出るくらい辛い。途中、中国人の客が入ってきて5分足らずで平らげて帰っていった。私は20分の格闘したがその辛さに完食することはできなかった(500g、2元、スープ付き)。

徽州小吃を十分堪能し、空港へと向かう。道には一昨日と変わらず牛が同じ場所寝ている。空港に到着。お世話になったタクシーの運転手とお別れである。「また来て下さい」と言い、知合いで黄山に来る人がいたら俺を推薦してと名刺を山のようにくれた。今度は別の旧居を見学することを約束し握手して別れた。搭乗検査に一時間を掛け待合室に入ると昨日黄山でお世話になった広州人の広さんがいた。聞けば、今日私が勧めた西遞村へ行き、黄山で撮り終わらなかったフィルムをそこですべて使ったと嬉しそうに話していた。広さんが搭乗したあと、売店で絵葉書を買い今回の旅行について振り返る。

思えば予算と時間の制限がある中で実に様々な中国人に助けてもらった旅行であった。日常、仕事を介しての中国人の折衝が多い私にとって利害関係になしに知合えた中国人は私に中国に対する新たな認識を与えてくれた。

KONOK

(編集注:本稿は1998年9月に本サイトに掲載されました)

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