上海のレスリー・チャン
00.08.24.揚子晩報・来稿/来月16日から上海その他でコンサートを開くレスリー・チャン〈張國榮〉が、宣伝のため、上海錦江飯店で記者会見を開いた。
レスリーは、日に焼けて以前より痩せている。自分では、「戀戰沖繩」のロケ中に、新しいイメージにするため4キロ痩せたんだ、と言ったそうです。【痩せた時期がいろいろ.............?】そして、大陸のファンに健康美を見せたいので、今がんばって太っているところだ、ト。「戀戰沖繩」で共演したフェイ・ウォン〈王菲〉についてレスリーは、自分などとうてい及ばないほど楽壇での地位は高いし、演技も自然で天才的だ、と大絶賛しました。
監督した禁煙映画「無煙草」について、レスリーいわく、自分は5年前から禁煙しているが、劇中タバコを吸わなければいけなかったのでつらかった。出演者はみなノーギャラ。今後も監督業を続けたい。
そして、かなりマスコミにはお腹立ちのようで.......レスリーが言うには、一部の恥知らずなマスコミは、好んで火のないところへ煙を立て、事件をねつ造する。香港芸能人100人のうち98人は被害にあっていて、今でも怒っている。その点、大陸のマスコミはいいです。わりとレベルが高くて、私は大陸マスコミの取材を受ける方が好きだ。
ジアン・ウエンリーの「刮[やまいだれ/沙]」
00.08.24.新華社/ジアン・ウエンリー〈蒋[雨/文]麗〉は、東西文化摩擦映画「刮[やまいだれ/沙]」で、レオン・カーファイ〈梁家輝〉の妻を演じている。映画は全編、アメリカ・セントルイスロケだった。
チアン・ウエンリー、撮影の感想:「今までで一番リラックスできた撮影でした。時間も資金もキチキチだったので、みんなスケジュール通りに動かなければいけなかったけど。でもアメリカには、労働組合があるでしょう。撮影班には、アメリカ人のスタッフをたくさん使っていましたから。組合の保護条例に従うと、毎日12時間しか働かなくていいし、1週間に6日しか働かなくていいの。おかげで私たちも楽だったわ。休みの日は、何人かで映画を観に行って、食事をしました。リフレッシュできました」。
ン・ジャンユー、人助け
00.08.24.太陽報/ン・ジャンユー〈呉鎮宇〉は、タイの高速道路で映画「愛與誠」のアクションシーンを撮影しているとき、反対側の道路で交通事故が起こったのを見た。ン・ジャンユーはすぐさま撮影を中止してくれるよう言い、スタッフたちといっしょにケガ人の救助にかけつけた。車の中は、運転手も乗客も重傷を負っていた。運転手は、顔に防風ガラスの破片が刺さり、白目になりかかっていた。みんなびっくりしてうろたえたが、ひとり冷静さを保っていたン・ジャンユーは、スタッフたちを指揮してケガ人を車から運び出し、撮影隊のトラックで彼らをぶじ最寄りの病院に運んだ。ン・ジャンユーの話:「冷静だった理由?わからないけど、撮影をたくさんしてきているから、そういう場面でも驚かなかったのかな。あのときは、まるで自分が医者になったみたいだった。助けることだけ考えていて、ほかのことは頭になかった」。
ワン・シュオ
00.08.24.美亜音像/00.08.23.ワン・シュオは、ジアン・ウエン〈姜文〉監督「太陽の少年〈陽光燦爛的日子〉」の原作小説を書いた人です。ちょっと出演もしています。一言のセリフに緊張してタバコを吸わずにいられず、1カ月の禁煙が無駄になった、その上ブドウ酒を1瓶あけたと書いています。
(ワン・シュオは、フォン・シアオガン〈馮小剛〉監督の新作「一声嘆息」の脚本を書いていますが、そのフォン・シアオガン監督が最近、「ワン・シュオは、想像力はあるが脚本は書けない」と言っていたのは、何だったのか〜な〜。........フォン・シアオガン監督は、「太陽の少年」に先生役で出ていました)
来稿にワン・シュオが自分で書いている文章によると、ジアン・ウエンは最初、ワン・シュオに「太陽の少年」の脚本を書いてくれるよう頼んだ。しかしワン・シュオはそのとき、監督は自分で脚本を書くべき、と思っていたので断った。
ワン・シュオはその前ぐらいに、リウ・シアオチン〈劉暁慶〉(ジアン・ウエンの元交際相手)の家で、香港のプロデューサーマンフレッド・ウォン〈文雋〉を見たそうだ。マンフレッド・ウォンは「太陽の少年」にも投資しているのだが、ワン・シュオによると、「太陽の少年」の撮影が長引いて資金が底をつき、マンフレッド・ウォンに助けを求めたとき、彼はどうしてもつかまらなかった。決済にも来なかった。マンフレッド・ウォンはそのころ香港で、三級片で稼ぐのに必死になっていたらしい。結局ドイツ人がドイツでの配給権を得ることを条件に、「太陽の少年」を完成させてくれた。そうです。
羊城晩報/最近ワン・シュオは、ジン・ヨン〈金庸〉からルー・シュン〈魯迅〉、ユイ・チウユイ〈余秋雨〉からユイ・ジエ〈余杰〉、チェン・カイゴーからジャン・イーモウ〈張藝謀〉と、批判しまくっている。
ワン・シュオは今まで2本の映画を監督し、そのいずれも検閲に通っていない。(そのうちの1本は、この間ロカルノ映画祭でグランプリをとった「[父/巴][父/巴]」)。自分は映画を撮るときに何も妥協はしなかった。映画を撮らなくても小説を書けばいいから。しかし監督は気の毒だ、生活がかかっているから、手段を選ばず撮りつづけなければならない。...........
ニン・ジン
00.08.23.テレビドラマ「一休和尚」のオファーをもらったニン・ジン〈寧静〉が、制作側に毎回6万元のギャラとアシスタントと専用の移動バスを要求し、日焼けをする撮影も拒否という条件を出したという報道があった。でリウ・シアオチン〈劉暁慶〉が「そんな話きいたことないわ。今の若い人って」とかコメントを出していたのだが、その2、3日後に制作サイドが、「そんな条件はニン・ジンから全く聞いていない。事実無根のデマだ」と否定した。制作サイドによると、ニン・ジンにオファーはしたが、スケジュールか何かで都合がつかなくて、受けてもらえなかったのだそう。
00.08.22.「霍元甲」のヒロインはメイ・ティン〈梅[女亭]〉なのだが、広東皮卞王影業有限公司のジア・ユン〈賈雲〉によると、最初に希望していたのはファン・ビンビン〈范冰冰〉だった。そして脚本を修正していくに従って、シアオ・チアン〈蕭薔〉、陳コ容、岳[令羽]、彭丹、ジョウ・シュン〈周迅〉と移っていき、最終的にはニン・ジンと話が進んでいた。
ところがニン・ジンが、子供同伴で撮影に参加したいと申し出たため、撮影の進行に影響が出るのを恐れたチア・ユンは、残念ながら彼女をあきらめたのだそうだ。
新しくヒロインになったメイ・ティンについて、ジア・ユン:「彼女はニン・ジンより若いし個性もあるし、それにメイ・ティンはニン・ジンよりも協調性があるだろう」。・・
00.08.22.北京晨報/広東皮卞王影業有限公司製作、チウ・マンチェク〈趙文卓〉主演のテレビドラマ「霍元甲」が、20日、浙江でクランクインした。出演者はほかに、メイ・ティン、兪飛鴻、趙越、ユイ・ロンゴアン〈于栄光〉など。
80年代の香港ドラマ「霍元甲」は、大陸でも放映されて人気を博した。そのとき霍元甲を演じた黄元申は、いまアメリカのお寺で出家しているが、チウ・マンチェク版「霍元甲」の製作スタッフは、黄元申にゲスト出演してもらおうとアプローチ中だそうだ。
*霍元甲は、“精武門”の創始者。ブルース・リー〈李小龍〉の「ドラゴン怒りの鉄拳」とか、ジェット・リー〈李連杰〉の「フィスト・オブ・レジェンド/怒りの鉄拳」で、亡き恩師として出てきた人。
00.08.18.北京青年報によると...チウ・マンチェクは、今月の22日から、広東皮卞丘影業有限公司製作の30集アクション・テレビドラマ「霍元甲」の撮影に入る。
取材を受けたチウ・マンチェクが言うには、彼が主演する「霍元甲」は、10数年前に黄元申が演じた「霍元甲」とはアクションの部分でぜんぜん違う。ヒラヒラ飛び回るアクションではなくて、より本物のアクションだ。
なぜなら、チウ・マンチェクを含めて、4名の全国武術大会優勝者がこのテレビドラマに出演するのだそうだ。CGも使うし........。(しかも)相手役はメイ・ティンじゃ。
00.08.18.北京晨報/メイ・ティンは6月初めから、上海でテレビドラマ「心网」を撮影中。毎朝5、6時に起きて、夜の11時、12時まで撮影というハードワークだそうで..........戸外でのロケのとき、「焼かれているみたい」とメイ・ティンが言ったほど、今年の上海は暑いし。スタッフはみな、メイ・ティンが一回ぐらい倒れないかな、そうしたら休憩できるのにと思っていた。・・・
8月15日の午後、やっかいな4人の子役と撮影中だったメイ・ティンは、疲労が極限に達したためか、とつぜん背中に激痛が走って腕もつけねからあがらなくなった。スタッフたちは彼女の異常を見て、あわてず騒がずすぐさま上海第一人民医院に運んだ。マッサージや吸引療法で痛みは少し和らいで、次の日にメイ・ティンはまた撮影にもどった...........メイ・ティン:「背中はまだ痛かったけど、がんばればできる。戦場では軽傷ぐらいじゃ撤退しないのよ!」ということで。【ああけなげ】撮影は今月いっぱいで終了の予定。
ジアン・ウエンの話
00.08.23.南方都市報/ジアン・ウエン〈姜文〉は上海図書館で行った講演で、印象深かった香港・台湾映画として、「楽園の瑕〈東邪西毒〉」、「稻草人」、「多桑」をあげている。
00.08.18.解放日報/13日に行われた、ジアン・ウエンの上海での講演から。
脚本について:「いい脚本とは、一気に読ませる脚本だ。タバコを吸うのも忘れて」。
スー・トン〈蘇童〉著「べにおしろい 紅粉〈紅粉〉」の版権を、ジアン・ウエンはリー・シャオホン〈李少紅〉監督と争ったそうだ。その後、ジアン・ウエンの興味はワン・シュオ〈王朔〉の小説「動物凶猛」(「太陽の少年〈陽光燦爛的日子〉」の原作)に移った。ジアン・ウエンは1カ月半、「カヴァレリア・ルスティカーナ」を聞きながら(「太陽の少年」に使われた曲)、ひたすら部屋にこもって書いていた。ジアン・ウエン:「しだいに外の世界が偽物のように、紙上の70年代の世界こそが本物のように思えてきた」。
今お気に入りの、ユイ・ホア〈余華〉の小説「許三観賣血記」について:「まだ半分しか読んでいない。カンヌにいるとき、ユイ・ホアから電話をもらって、版権を買った韓国のプロデューサーが、どうしてもジアン・ウエンに監督してほしいと言っている、と。ただ、韓国人の売血記を撮れというんだ。私はユイ・ホアと相談して、やはり中国人の話でないとな、と言ったんだ............」。【だって、「許三観賣血記」は、文化大革命中に血を売って生きていく人の話だそうですから】
00.08.17.新民晩報/13日、ジアン・ウエンが上海図書館で上海青年たちを前に、“電影的表演与(と)導演芸術”と題した講演と歓談を行った。会場に、「宋家の三姉妹〈宋家皇朝〉」でジアン・ウエンの娘を演じたふたりが来ていたそうで...........ジアン・ウエンいわく、「月日が経つのはほんとうに早いな、娘がこんなに大きくなった!」
チェン・ホンの話
00.08.21.北京青年周刊/チェン・ホン〈陳紅〉は、4月に夫チェン・カイゴー〈陳凱歌〉のふたりめの息子を産んだ。そしてふたりの子供をアメリカに残して、ドラマ「完全婚姻手」の撮影のため、上海に戻ってきた。チェン・カイゴーはイギリスで新作の準備中。
チェン・ホンの話によると、妊娠中は夫婦ふたりとも仕事がなかったので、アメリカでズーと親子3人いっしょにいたそうだ。2番目の子の名前はまだ決めていない。ひとりめは“チェン・ユイアン〈陳宇昂〉”。チェン・ユイアンは、お母さんのチェン・ホンが上海に発つ2日前、幼稚園でほかの子をぶったそうだ。なぜぶつの?とチェン・ホンが聞くと、ユイアンは「だってお母さんのことを考えると」と言いながら泣く。(何なのかよくわかりませんが、泣くのを我慢していてほかの子にあたったようです)、「賢い子でしょう。そんなに我慢しなくていいのよ、と言ってやりたかったわ」と言う(親バカ)チェン・ホンも(よくわからん...............)
チェン・ホン親バカ続き:チェン・ユイアンは、もう唐詩を60首はそらんじている。そいでアメリカの幼稚園の先生がチェン・カイゴーに、「あなたのお子さんは、私が見てきた中で一番かしこい子ですよ」と言った。カイゴーは妻チェン・ホンに向かって、傲慢にも、「中国人はもともと賢いからな。私の子が賢くて当然だ」と言った。.........
ジャン・イーモウの武侠映画
00.08.21.聯合報/ジャン・イーモウ〈張藝謀〉監督は、「幸福時光」を大連で撮影中。今回は農村が舞台でなく、労働階級の話なので、別に田舎なくてもいいのだが、ジャン・イーモウは北京で撮影しないわけを、「めんどうなことが多くて集中できないから」と言ったそうだ。【マスコミとかね】南京ほかもロケハンしたが、結局、比較的北京に近く、あまり映画の舞台になっていなくて新鮮だという理由から、大連を選んだ。
ジャン・イーモウは、「幸福時光」の後、武侠映画を撮る予定。別に「グリーン・デスティニー〈臥虎藏龍〉」の影響ではない、ずっと以前からの構想だそうだ。チャン・イーモウは、グー・ロン〈古龍〉やジン・ヨン〈金庸〉をたくさん読んできたが、それらを原作にした映画化ではなく、新しい武侠世界を構築する。主役はマギー・チャン〈張曼玉〉の予定で、ふたりはすでに接触している。
ジャン・イーモウが言うには、自分の今までの映画では、香港女優を主役に使うことは難しかったが、しかし武侠映画では可能だ。強くてやさしいマギー・チャンは、ジャン・イーモウのイメージする侠女にふさわしい。マギー・チャンもかねてより、イーモウの映画に出演することを望んでいる。
香港から大連にジャン・イーモウを訪ねた甘国亮と葉コ嫺によると、イーモウは右ももに包帯をしていたそうで。マラソンやプールに精を出しすぎて、筋肉を傷めたのらしい。
中国時報/台湾に来ている大陸俳優のリー・パオティエン〈李保田〉がしゃべったところによると、ジャン・イーモウは、どんなに仕事で苦労をしていても、夜は頭を枕につけるとすぐに眠れる、うらやましい人だ。
ジャン・ヤン
00.08.20.ジャン・ヤン〈張揚〉の話によると─よい映画とは、商業性を備えているものだ。よい映画は、観客の内にあるなにがしかの感情に必ず触れ、そこに入り込む。その結果、商業価値と鑑賞性が生まれることになる。監督は、観客が映画を楽しめるよう、いろいろな方法を考えなければいけない。監督の仕事とは、芸術映画をおもしろく撮ること。そしてそれは、ひとえに監督の能力の問題だ。−−........
リー・リー、「グリーン・デスティニー」
00.08.19.済南日報→美亜网/北京の新人女優リー・リー〈李黎〉は、「グリーン・デスティニー〈臥虎藏龍〉」で“蔡香妹”という役をもらい、撮影中は大スターたちと熱戦を繰り広げた。
が............リー・リーは「グリーン・デスティニー」の北京プレミアに出席したとき、とつぜん副監督に、「リー・リー、ごめんね」と謝られたそうだ。彼女は不審に思ったが、映画を見終わって理由がわかった。彼女のシーンは大量カットされて、ほんの数分しか残っていなかったのだ。上映が終わると、監督のアン・リー〈李安〉もリー・リーのそばにやってきて、ほんとにごめん、と謝った。..........5カ月の苦労は何だったの!と思ってリー・リーは泣きわめきたかったが、かろうじて涙をこらえ、笑って監督に「さようなら」と言ったそうだ。・・・
楚天都市報→美亜网/取材を受けたリー・リーが話したところによると、北京舞踏学院出身のリー・リーはちっとも太っていなかったのに、「グリーン・デスティニー」の撮影準備中、アン・リー監督は彼女に、5キロ痩せるように言ったそうだ。チョウ・ユンファ〈周潤發〉はもっとかわいそうで、8キロ痩せるように言われた。クランクイン前の武術訓練期間中、リー・リーとユンファは、まいにち疲労困憊しながらも、アン・リーお手製のキュウリ料理を食べることを義務づけられていた.......。
それからあの、リー・リーが言うには、ユンファとミシェール・ヨー〈楊紫瓊〉の北京語は笑いの種だったそうで。しかもユンファは学習のため、勇敢にも慣れない北京語を使い続けたので、いちばん笑われていたそうだ。
ホウ・シアオシエンと映画とネット
00.08.18.明日報・中国時報/17日、ホウ・シアオシエン〈侯孝賢〉監督代表サイト“戲弄電影網”http://sinomovie.com/index.html主催の“世界短編映画試写会”が台北で開幕した。上映は20日までで、映画ファンは無料で入れるそうな。上映作品は、ジョージ・ルーカスやアン・リー〈李安〉などの初期の短編のほか、台湾の新人監督のものが含まれるということで。【主催側にとってはこっちが目的なんですね】
上映前の座談会に出席したのは、ホウ・シアオシエン、リン・ジョンション〈林正盛〉、符昌鋒、蕭雅という4人の監督だった。
ホウ・シアオシエンのお話によると、ひとりの監督の作り出す映画の世界は、その監督個人の成長環境こそに決定される。自分には、ウォン・カーウァイ〈王家衛〉のような、繁華と人間性がからみつく映画は絶対に撮れない。ウォン・カーウァイは小さい頃からにぎやかな場所で大人に揉まれて成長し、自分は高雄鳳山城隍廟のそばで、影絵芝居と布袋戲と武侠小説に囲まれて育った。ウォン・カーウァイとは、関わっていたものが全く違う。
ホウ・シアオシエン、短編映画について:「監督は年をとってきたら、ときどき短編映画を撮った方がいい。長編ばかり撮っていると、映像に鋭さがなくなり、いろいろずるがしこい手段を使うようになるから。短編は自由だし、技術が使えないところがあるから、年をとった監督も、失ったオリジナリティと情熱を取り戻せる」。
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ホウ・シアオシエン監督の発表によると、彼は9月に撮影再開の「千禧曼波」を、密接にネットと結びつかせて製作する。
説明:「千禧曼波」は6章から成る。まずその6章の頭の部分だけを先に撮り、それをネット配信して、ネットユーザーに続きの脚本を考えてもらい、“戲弄電影網”で発表させる。一方でホウ監督は、元々の自分の脚本に基づいて映画を完成させる。きっと「千禧曼波」はいっそう豊かな映画になるだろう。今後も“戲弄電影網”は、こういう方法を試し続けるつもりだそう。ネット民から寄せられた意見が映画に反映されることもあるだろう、と。
ユン・ピョウ、「鐵拳傳説」
00.08.17.show8/ユン・ピョウ〈元彪〉も「鐵拳傳説」に出演する。ユン・ピョウが言うには、今のアクション映画は、以前みたいにハードに打ちあわなくてもいいから楽だ。CG技術が進んでいるし。..........市場の具合がよかったら、また折を見て映画をプロデュースしたい。
星島日報/アンドリュー・ラウ〈劉偉強〉監督によると、「鐵拳傳説」の製作費は4,000万香港ドルで、俳優のギャラが2,000万近くを占めている。もちろん大哥サモ・ハン・キンポー〈洪金寶〉がいちばん高い。
“美目大賞”を受賞したチン・カーロッ〈錢嘉樂〉でしたが、マスコミに「昔の映画であなたは一重まぶたでしたよ」と言われると、「19歳のとき、サモ・ハン・キンポーに言われて、二重にする手術をしたんだ」と話した。サモ・ハンは、スタントマンだったチン・カーロッを、見所があると思って、(さらに)ハンサムにしたかったのだ。チン・カーロッ:「だから、“美目大賞”を受賞できたのは、大哥大のおかげだ」。.........サモ・ハンは、彼のために医者を手配して、手術代も出してくれたそうだ。