<<<その1
<<<その2
| 4、
胡雲翘(胡祖德)旧居 |
キーワード:度民橋、周浦塘、胡雲翘 |
陳行鎮は川をまたがった地形で、アーチ型の「度民橋」が両岸を繋いでいる。川は「周浦塘」といい、周浦から陳行を通って黄浦江に流れている。以前はかなり曲がりくねっていて「八曲塘」とも呼ばれていたが、工事を重ねて現在のようにまっすぐな流れになったそうだ。
「子供のころ西行きのフェリーに乗って黄浦江に行き、それから北に上って上海の十六浦港まで行ったもんだ」胡彦碩さんは昔を懐かしんだ。
現在の度民橋は1910年に着工、1911年に完成した。橋の長さは16丈(約48.5メートル)で浦東で一番長い石橋だ。以前は木製の橋だった。
この橋を作った人は胡雲翘(名は祖德、字は雲翘)という名で,周浦塘に合計六つの橋をかけたため、「六橋老人」と呼ばれ、村人たちから大いに感謝された。胡雲翘は民間言語学者でもあり、多くの呉歌や上海のことわざを収集し、後に大衆文学研究の上で比類なき貴重な資料を残した。

中華民国成立時に修復した度民橋

村を貫く周浦塘。写真の先が地下鉄8号線建設予定地 
河に面した胡雲翘の旧居 胡雲翘氏のかつての住居は周浦塘沿い、度民橋のすぐ近くにあり、地形から言えば「水に近い」(役得についていることをたとえる成語、または月見に持ってこいの場所)好立地。しかし家は家主の人柄同様簡素で実用的、ごてごてとした飾りを好まないようだ。

胡雲翘邸のガラス窓
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屋敷の西側がすぐ港になっている
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※ 外部リンク:胡祖徳建造の度民橋
| 5、
陳行鎮の関帝廟 |
| キーワード:関公、忠義、キササゲの木、銀杏の木 惜字幢 |
中国にどれだけの数の関帝廟があるのか正確な資料がないが、かつて「中国人のいるところには必ず関帝廟あり」と言われていたほどだ。関帝廟は中国民間信仰において重要な位置を占めている。今日に至るまで、中国人が「忠義千秋」の関羽について話し出すと興奮冷めやらぬ、という様子だ。
度民橋から西へ5分ほど歩くと、陳行鎮の関帝廟につく。廟は低く、二本の高い老木から青空を支えるようにして枝が伸びている。

関帝廟の外観 
内部はぼろぼろ
廟門は施錠されておらず、入るとすぐに荒れ果てた光景が広がる。まるで震災にでもあったかのようだ。外から見えた二本の老木は上のほうは枯れかかっており、中ほどから下までがなんとか生きていた。1960年代に中庭にコンクリートが敷かれ木を取り囲んでしまったため、かつての大木が弱ってしまったのだ。秦小康さんが気付いて新聞に投書し、マスコミに取り上げられたためコンクリートは取り除かれ、大木はなんとか一命を取り留めた。
この木はキササゲの木で、伸びやかに広がり、葉は大きく紫色の花をつけ、とても美しい。キササゲは中国人にとって故郷の木だ。胡彦碩さんは「『造福郷梓』という成語があるけど、この梓っていうのがつまりこの木のことなんだ」と説明してくれた。この成語の意味は、社会に出て成功したなら、必ず故郷に帰り、故郷の人々を幸せにしなければならない、という意味。つまりこれが中国人の「恩義」だ。
秦小康さんによれば、この二本の木は樹齢150年以上だということだが、今はただ瀕死の状態で孤独に雨風に立ち向かっている。
正殿には長い祭壇があったが関羽像は見当たらなかった。破損はなはだしい正殿の後ろには大小それぞれ数十ムー(1ムーは15分の一ヘクタールの)の建物を取り壊した跡地があり、瓦礫が散乱していた。
しかし、東側の偏殿には関公と、普門大士など神仏の立像や坐像が奉られており、中国民間信仰は完全に消滅してはいないことが見て取れた。
関帝廟は清代に建てられ、秦栄光、胡雲翘らにより修築が行われたとのことだ。中華人民共和国成立から改革開放まで、ここは人民公社の食料庫として使用された。
また関帝廟の前には、かつて高さ2,3メートルもの石で作られた惜字幢(書物の墓場)があった。当時は不要になった書はすべてここで焼却されており、勝手に捨てることはできなかった。

廟内の神仏像 |

廟内の一隅
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廟の裏にはまだ元気なイチョウの木があった
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【編集後記】陳行老街はとても狭く、短い通りだが、中医秦伯未や、教育者の秦栄光、秀才秦錫圭・錫田兄弟などの著名人を輩出している。中国の伝統ある村はみなそうだが、「詩書(学問)があってこそ社会が続いているように、忠実で温厚であってこそ、家は絶えることなく続いていく」という伝統的気風の中で、地方名士としての精神が培われていたのだ。
陳行は浦東地区の重要な地域の一つであり、古来より人は純朴で、文士を多く輩出しており、俗に言う「名士の里」だ。
また「陳行」という名前の由来はある故事からきている。
かつて陳という名前の木材商人がおり、周浦塘でいかだを流した。いかだが陳行の港までさしかかったとき、突然骨がはずれいかだはばらばらになってしまい、何本かの板は沈んでしまった。しかし陳行の人たちが木材を拾ってきてくれた。最後に陳という商人はこの地に「陳家木行」という名で木材業を始め、これが縮まって「陳行」となったという。今では陳行鎮には陳氏の末裔が多くいる。
ここには、陳家のほかに文中で触れた秦家、胡家、そしてもうひとつ「孔」家という四種類の姓が多い。この地の孔さんたちも孔子の末裔が多く、陳行鎮に住んでいるのは70代目にあたるらしい。となると、陳行鎮には中国で綿々と続く「家」の縮図があるともいえる。
ただ、時代の変化により、人々の考え方も変わっていく。遺跡や家族の歴史に対して、クールな態度をとる人のほうが多い。たとえ周囲の文物が破壊しつくされてもじっと耐えている。数千年にわたって続いてきた文化を重んじる伝統、人生の美学を尊ぶ民族の面影はどこにいったのか…。
Address
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上海市闵行区浦江镇陈行 【MAP】 |
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地下鉄8号線“耀华路駅”下車,バス「周陈线」で陈行站(約40分)※注:2009年7月地下鉄8号線南段開通後は,陈行まで直行で行けるようになる。 |
(2009年7月記)
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