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2006年7月9日 お詫びとお断りとお知らせ

 拙ブログ『上海で考える人』は、終了からかなりの時間が経っているにもかかわらず、多くの方にお越しいただいているようで、うれしく思っています。

 さて、もうここには新しい記事をアップしないと言っておきながら、なぜ性懲りもなく書いているかというと、最近、掲示板がすっかり荒れてしまっていることのお詫びを言いたかったからなんです。

 当初は気づいたら、せっせと手動で1件ずつ消していたのですが、けっこう時間がかかるし、量も増えてきて、もはや追いつきません。ということで、読者の皆さんとの楽しいやりとりがあったのに心が痛むのですが、とりあえずこの掲示板は捨てよう、と決心しました。

 もし、このブログに関してご質問やご感想、ご批判などありましたら、『上海ブログのふろく』の掲示板に書き込みをしてくださいますよう、お願いいたします。

 それにしてもヴァイアグラのPRが多いよね。なんで知ってるのかなぁ、ぼくのこと。

2006年5月14日 はじまりのおわり

 とうとう今日がこのブログの最終日です。深夜、もう日付は変わって15日になってしまったけれど、ぼくはひとりバーボンウイスキーで祝杯をあげつつ、これを書いています。


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 このブログには何人かの哲学者や宗教家が登場しました。ぼくは彼らとぼくなりに対話をしてきました。実際、ヒュームさんなんかとは、かなりバカバカしい会話をしたもんね。いまではその時のことが懐かしく思い出されます。

 もう「自分とはなにか」「他人とはなにか」を一緒に考えてきたみなさんは了解済みのことだと思いますが、対話とはすべからく己と交わすものです。目の前にその人がいるのか、いないのか。あるいは、それが過去のテキストなのか。絵画なのか、音楽なのか、映像なのか、その他の表現手段なのか。

 そうしたことは、こと“対話”という観点からは、とくに重要ではありません。いまこの瞬間に存在しているぼくが、ある対象と出会い、世界を生成していく。その生成の過程のなかに、対話も含まれているのだと考えます。

 だからそれらはすべからく、まぎれもなく、私的な体験であると言えるでしょう。「小さいほうの自分」が「おおきいほうの自分」とアクセスするとき、ぼくたちはプラトンとも、デカルトとも、釈迦とも老子とも、1対1で対話できるというわけです。

 さて、ぼくはこれまでの1年間、“考える”と称してきたものの、自分の頭で考えることとはほど遠い作業を重ねてきました。でも、そうした行いによって、考えることの入り口に立つことができたのだと思いたい。
 いずれきっと、自分の書いたテキストと向き合い、ぼくはあらためて対話をするのでしょう。「ああ、こんなこと書いて恥ずかしい」「なるほど、意外とわかってたじゃん」「この記述は全面的に誤りだ」などと反省したり、認めたりするのだと思います。

 この『上海で考える人』と題したブログは今日でほんとうに終わりです。支えてくださった読者のみなさまには、心から感謝しています。ありがとうございました。まだまだみなさんと話したりないなぁ、というのが実感です。ただ、これ以上、ここに新しい原稿をアップすることはありません。自分へのけじめという意味でも、ひとつのピリオドを打ちたいと思っています。

 一方で、ここで終わらせる気もありません。なにより過去の記事は依然としてぼくの言葉ですし、責任を持ちたい。コメント欄は生きていますので、ぼくたちはいつでも対話することが可能です。週に数回は必ずチェックをし、返答を書きたいと思っています。

 初めから読むとなると、まったく自分でも嫌気がさすくらい膨大な量ですが、もし考えることに興味があるのなら、####以降だけを読み進めてください。そして、疑問や感想や批判など、いつでもコメントを書き込んでください。あるいは上海生活に関心がある方は、####以前を読んでみてください。問い合わせについては、可能な限り応対します。

 そんなふうにして、このブログがこれからも誰かとつながる媒体になるのならば、書き手としてそれほどうれしいことはありません。まだ見ぬ友との邂逅を夢見て、ここでいったん筆を置くことにします。

 みなさん、ほんとうにありがとうございました。


※追記
さっそくこんなことを始めました。

『上海ブログのふろく』

気が向いたら遊びに来てください。

2006年5月13日 中国式結婚式に見る日中関係の打開策(タイトルに偽り有り)

 朝、チーちゃん一家をお見送り。短い間だったけど、上海を楽しんでくれたようで、そのことをうれしく思います。

 日中関係はいまや“静かな戦争”と言っても過言ではない状況だと認識していますが、状況を好転させるためには、なによりお互いの国を少しでも好きになることだと思います。中国は「政治には問題があるが、経済交流が大切だ」と言っていますし、日本でもそうした意見を語る人が多いように感じます。

 それが間違っているとは言いません。でもね、青臭い言い方かもしれませんが、ぼくはひとりでも相手の国の好きな人をつくったり、好きなところを見つけたりするところからしか、状況は開けないと考えています。経済交流はそれによって人的交流が生まれるという意味でとても良いこと。ただ、始まりはいつも“ひとり”と“ひとり”なのだと思います。

 できることはそんなにないけれど、ぼくが上海に住んでいることをきっかけにして、ひとりでも多くの人にこの場所に実際に立ってほしい。そして上海と中国人を好きになってほしい。だから、ぼくのことを友人とか、仲間とか、先輩、後輩などと思ってくださっている人は、どうぞ遠慮なくいつでもぼくの家に泊まりに来てください。

河原さんがご挨拶。司会者のキャラが濃すぎて、その影響か、テンションが高い
 互いを好きになるといえば、今日はO崎さん夫妻の結婚式に出席させてもらいました。博多っ子のO崎さんと、上海っ子の陳さん。大切に思い合っているふたりを見ていると「中国人と日本人は永遠に仲良くできん!」などとネガティブなことを言っている人の鼻の穴に右手でつくったピースを激しく突っ込んでやりたくなります。

 そうそう、中国式の結婚式に参加したのは初めてでしたが、いろいろとおもしろい体験をさせてもらいました。とくに司会のおじさんの独特の発声や、空き時間のつなぎに自慢ののどを惜しみなく披露するところに感動しました。というか、大笑いさせていただきました!

 まるで、おじさんのリサイタル、あるいはディナーショーみたいだったなぁ。O崎さんに聞くと、芸能人になり損ねた御仁らしく、なるほどだからか、と納得。ともあれ、幸せそうなおふたりを見て、ぼくの心もあたたかくなりました。いい日だったな、今日も。


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 このブログを1年間続けてきたことの意味はなんだったのでしょう。個人的には多くの副産物がありました。

 まず、書くスピードが速くなったこと。この仕事を始めてから10年以上の月日が流れましたが、まだ“速く”なるということを実感できたことは大きな発見でした。当たり前のことと言えばそれまでですが、限界とは常に自分がつくるものなのだと再認識。これは大きな財産です。

 このブログを書かなければ、きっと手に取らなかったであろう書籍を集中して読めたこともよかった。散在していた知識が、ひょんなところから結合するというエキサイティングな経験が何度もありました。

 もちろん、同じかそれ以上に、統合できない知識が頭の中に残ったのも事実です。しかし、それも簡単に結論を出しさえしなければ、いずれきっとぼくの力になると期待しています。答のない問いを抱えることはやっかいなことですが、だから生きることがおもしろいのだ、とも言えます。
 新しい出会いもありました。「コメント」という形をとったテキストでの交流ではありますが、この世界にたくさんの“考える人”、しかもぼくのような“考えることのど素人”なのに“考えざるを得ない人”が存在することに心を強くしました。

 当初の目標であった“娘へのプレゼント”というお題は、クリアできたかどうかはなはだ疑問です。でも、いずれ全原稿を整理して、1冊だけの彼女が“考えるための本”をつくりたいと考えています。その叩き台は、とりあえずできたのだと思いたい。

 そして、そして、このブログを続けてきたほんとうの意味は、これからだんだんわかってくるのだと信じています。

 そもそも確かな結果を求めて始めたことではありません。「絶対に辛い思いをするだろうけど、それをおもしろがれるだろうな」と考えたから手がけたのですし、実際にすごくおもしろかった(もちろん辛くもありましたが…)。だから1日、1日で、想いはすべて成就していたのです、きっと。

 そんなたくさんの成就を経験したぼくが、やはりこれからも1日、1日を生きていくことに意味がある。いまは、なんだかそんな気がしています。

 喜んだり、悲しんだり、楽しんだり、うつむいたり、仕事を一生懸命にしたり、途方に暮れたり、人を愛したり、心配したり、感動したり、涙を流したり、慈しんだり、憤ったり、なにかを好きになったり、嫌いになったり、そしてまた好きになったりしながらの1日。

 あるいはそうした1時間、1分、一瞬。そんないまという時、まさに区切ることのできないこの“いま”を生きて死んでいくことが、以前よりも“じか”に感じられるようになったように思えます。

2006年5月12日 1時間エアロバイクを漕いだ結果、消費カロリーは……

 ジムのエアロバイクを1時間こいでみました。日頃の運動不足(というか運動はゼロ)を強烈に自覚させられます。到達距離は12マイル(約19.2キロ)で、だからこれが平均時速ということになります。

 消費カロリーは400kcal。サッポロ一番味噌ラーメンを一袋食べたら元の木阿弥。平均がどれくらいかはわかりませんが、良い数字でないことは明白です。なにせ、この虚脱感だしね。

 このままでは2週間後の屋久島の宮之浦岳登山で、渡邉さんに笑われてしまう。もう、あまり時間はないけれど、できるだけ鍛えておきたいと思っています。

みんな楽しい上海を過ごせたかな。少なくとも今夜のディナーは美味しかったね
 夜は今日が上海最後の夜となるチーちゃん一家をフォーシーズンズの『四季軒』に招待しました。個人的に上海の中国料理はここが最もおいしいと思っています。後は値段に見合ったサービスが提供されれば言うことないんだけどなぁ。その点は「上海なのだから」という理由で、あきらめるしかないのでしょう、たぶん。

 自宅に戻って、ゆっくり酒でも飲んで話そうと思ったけど、もういけません。レディオヘッドのライブ映像を流してソファに寝そべったら、夢うつつ。気がつけば午前4時で、ぼくの身体にはタオルケットがかけられていました。

 さて、このブログも残すところ後3日。いよいよザ・ファイナル・カウント・ダウン(by ヨーロッパ)ですね。みなさん、もう少しだけお付き合いを。


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 物事は長続きさえすれば、だいたいモノになるようです。でも、それが難しいんですよね。とくにぼくの場合、最も長く続けたのがバンド。メジャの世界に行くことができたのは、単にやめなかったからだと思っています。これは謙遜ではありません。ぼくのギターの技術を知っている人ならば、誰もがうなずくはずです。

 物を書く仕事もおおよそ10年になります。なんとかそれだけで生活をしているわけですから、とりあえずはモノになった、と言っていいですよね。でも、それ以外はほんとうに続きません。その時々、のめり込むものがあるのですが、だいたい短期間で熱が冷めます。

 そんなぼくがこうした形の日記を1年間続けてこられたのは、なんといってもぼく自身の努力によります。あっ、怒ってます? でも、「小さいほうの自分」からすれば、この答は妥当でしょ。なにせ、誰かが書いたのではなく、ぼく自身が書き続け、やり遂げたのですから。
 ところが「大きいほうの自分」から眺めれば、事態はまったく変わってきます。舞台を提供してくださった編酋長、目標設定の大切さを教えてくださった河原さん、あきらめたくなったときに傍らで寝息を立てていた娘、努力をたたえてくれたケースケやトモッキー、コメントをくれた友人たち……ブログを1年間続けるという、たかだかそれくらいのことでさえ、そうしたたくさんの人たちの力添えによって実現したのだと、いまあらためてそう思います。

 そして、なによりの原動力となったのが読者のみなさんの存在です。ぼくは最初、10人ほどの友人たちに公開する形で進めていこうと思っていました。それがこのサイトを利用することになって、1日に100人もの人がアクセスしてくれることに驚いたものです。

 それが300人になり、600人になり、現在では1000人を超える人たちが毎日このブログに訪れてくださっています。累計アクセス数は22万超。数字の向こうに感じることができる、みなさんの好意が、心の弱いぼくを支えてくれたのです。ほんとうにありがとうございました。

2006年5月11日 人体模型図、外灘18号の赤いシャンデリア、上海飲食ビジネス本

南京東路「第一医薬」の3Fで販売されている。情報提供者U田女史

 チーちゃん一家を上海観光に案内する道すがら、ぼくが買った東西(モノという意味)。それは人体模型各種です。按摩や鍼灸のツボが表記してあるヘルスィで素敵な人たち。いま、どこに飾ろうかと思案しているところです、ふふふ。

 みんなが外灘の観光トンネルから東方明珠塔コースに行っている間、ぼくは外灘18号1階のカフェで彼らの帰りを待っていました。このビルには実ははじめて入ったのですが(行ったことのない有名スポットは山ほどあります)、入り口のシャンデリアのかっこよさに見とれてしまいました。

 そのシャンデリアが見える席に座ってハーブティを飲みながらコツコツと小説を読みます。なかなか気分の良い時間。たまには場所を変えて読書をしてみるのもいいもんだな、と。

 上海雑伎団の劇場に送り届けてから、ぼくはひとりで自宅に戻って仕事をパチパチ。うれしいメールが届いていました。企画を投げていた、河原さんの上海飲食ビジネス本が出版されるとのこと。これはがんばらなきゃなぁ。

実際に見るとほんとうにかっこいいんだから。いくらくらいするものなのだろう
 打ち合わせのために今月下旬にも東京に行くことになりそうです。東京のみなさま、そのときはどうぞよろしく。


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 このブログをスタートするまで、日記をつけたことはありません。書こうとしたことはありますが、すぐに嘘を書きたくなるのです。まじめに書こうとすると3日も持ちませんでした。

 依頼のない文章を書くこともほとんどありませんでした。以前にも書いたことですが、文章を書いているとき、まさにその瞬間が楽しいということはほとんどありません(多くの人がそうでしょう?)。文章を書く前は、基本的に憂鬱なものです。あーあ、また書かなきゃならないのか、と。書き終わるとうれしいんだけどね。


 そして何より「考える」ことが難しいことに、あらためて愕然としました。なんとか自分の言葉で説明するために、多くの本を読みました。これぞ自転車操業です。そして、その意味では、ぼくは自分の頭で考えたのではなく、たくさんの本を読んで貼り合わせただけなのかもしれません。

 書くべきことはたくさんあったはずなのに、実際に説明できるかとなると不安になって、そのためにダラダラとつまらない説明を続けた時期もありました。いや、ずっとそうだったのかもしれない。

 編酋長からは「####以降は10人も読んでいないだろうなぁ」と言われました。スタート当初、1日のアクセス数が現在の10分の1にも満たない頃でしたし、たぶんそうだったのだと思います。いまでも……なのか?

 ともあれ、しかし日記嫌いで、実は筆無精で、考える力の弱いぼくが、それでもなんとか1年間毎日続けることができたのは……誰のおかげなんでしょうか。

2006年5月10日 チーちゃん一家との賑やかな食卓

 一度に4人の客人というのは、上海で暮らすようになって最高人数。賑やかな食事はやっぱり楽しいね。チーちゃん、おとやんが夫婦で、タイヨーとサクラが兄妹。陽気な一家です。

 福岡にいるときも、東京で暮らしているときも、居候がいたり、ごはんを食べに来る輩がいたり、よく人が訪れる家だったけど、さすがに上海となると訪問客はめっきり減りました。布団さえなんとかすれば、10人くらいは軽く泊まれる広さなんだけどね。

 それをことさらさびしいとは感じませんが(ぼくには、どんな状況になっても「それはそれ」と考えるのんきさがある)、こうして見慣れぬ他者に会い、しゃべり慣れぬことを話すのは大切だなぁ、としみじみ思いました。

 もし関東圏に帰ることがあれば、自宅の一室を仕事仲間や以前の音楽仲間や、芸術を目指している人や自由業の人たちに開放できたらいいなぁ、と夢想しています。音を気にせず朝までお酒が飲めて、2〜3人は楽に宿泊できるような空間。ぼくがいなくてもみんなが勝手に集まれるような場所。後は財布との打ち合わせということになりますが…。

 子どもたちは興奮しているようで、ずいぶんと夜更かしをしてしまったようです。明日の上海観光、ちゃんと朝からエンジンがかかるかな。ま、絶対かかるな。心配なのはぼくの身体のほうだ。

 だから早めに眠るとして、今夜も「あとがき」の続きを。


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 初めての子どもにプレゼントするエッセイを書いていて、名前についての部分に差し掛かりました。ぼくは彼女が誕生する直前の3カ月は、毎晩、名前について考え続けたのです。もう、すっかり忘れてしまいましたが、300や500の案は出したと思います。
 「なかなか良いのが思いつかなくて大変だったのだ」とか、「他にもこういう候補があったんだよ」などと書いているうちに、じゃあなんでそんなに頭をひねったのかを説明しなきゃな、という気分になった。そこで、ぼくは「そもそも名前というのは…」と書いて、はたと止まったのでした。

 これをちゃんと説明するとなると大変なことになるなぁ、と。きっと「言葉とは何か」という話になるし、そうなるとその前に「世界とは何か」というようなことになる。さて、どうしたものか……。

 ぼくはいったん筆を置き(もちろん比喩ですが)、15分間の沈思黙考。よし、それじゃあ1年かけて、その前段となるようなものを書いてみようじゃないか、と決心したのです。ちょうど、仕事以外の目標を探していたところだし、これはちょうど良いな、と。

 あらためて内容の基準を考えました。設定としては、彼女が14歳になったときに渡すプレゼント。だから14歳が読んでも十分に理解できる文章を心がけること。できるだけ楽しく話すようにすること。そして、とにかく是が非でも1年間は続けること。毎日、毎日。

 追加のルールとして、可能な限りネガティブなことは書かないこと。表現したい内容に関わることならば仕方がないけど、悪口とか愚痴なんかは絶対にだめ。そんなことを考えながら、このブログはスタートしました。

2006年5月9日 真夜中のテールスープ

これが4時間後には白濁した濃厚なスープになる。簡単だからお試しあれ

 またもや深夜のスープ制作。今度はテールスープを作ってみよう、という算段です。実はテールスープは出来上がりの複雑で濃厚な味わいに比して作り方はいたって簡単なのです。

 ただ、上海では良質のテールを買うのが難しい。先日行った久光そごうのデパ地下で見つけたのが「まぁ、これならOKかなぁ…」というレベルでした。ほんとうは輸入物を使うべきかもしれませんが、テール自体が決して安いものではありません。

 テールを鍋にぶち込んだら、ぼくの場合、グラグラと沸騰したお湯で15分ほど煮ます。このとき、食欲が失せるほどのアクが出るので覚悟しておいたほうがよい。肉をいったんザルにあけて流水で洗い、煮汁は当然ながら捨てます。ここで一度、鍋を徹底的に洗ってください。

 後は再び鍋に水を張って肉を戻し、ネギ、ニンニク、ショウガをはじめ、残り野菜(ジャガイモはだめ)を投げ入れたら4時間くらい煮込んでやればいいのです。鍋のふたを閉めれば、中弱火でも勝手にグツグツなって、勝手に白濁します。

 時間はかかりますが、手間はかかりません。清湯をとる時みたいに神経を使う必要もない。グラグラ、グツグツやっているうちに、いつの間にか一人前になっているという手のかからないやつなのです。

 スープとして楽しむためには、大根などの野菜と少量の素麺を入れてはどうでしょうか。棗があるとなおいいね。味付けは塩を中心に、醤油を加えるとしたら隠し味程度にしておきましょう。あっ、お酒を入れて一煮立ちさせるのは忘れずに。

 ぼくはテールを別皿に盛って、酢醤油とネギ、七味唐辛子で食べるのが好きです。スープが残ったら、カレーの元スープにしましょう。ぼくの実家では「テールの煮込み」の翌日は確実にカレーです。

 2時過ぎにできあがりましたが、例によって食べるのは明日。日本から義妹夫婦と子どもたちが遊びに来ることになっていて、テールの煮込みが明日の夕食のメインになります。
 眠たい目をこすりながら、「あとがき」の続き。


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 一昨年の11月、ぼくにとってはじめての子どもがこの世界に登場しました。上海の医者から「女の子である可能性が50%です」と真顔でいわれたときには怒っていいのかどうかわからず、もちろん吹きだしてしまいましたが、結果は女子でした。

 彼女に何かプレゼントを渡そうと考えたのですが、もちろんコーンヘッドのようなとんがった頭の中にある脳みそは、ぼくという存在を理解することさえできない状態です。だからぼくは未来の彼女に贈り物をしようと思ったのです。

 でも、それはいま作らなければならない。この瞬間の、この想いを何らかの形に変えたいと考えました。ぼくは当時、単身上海で暮らしていたので、一人きりの夜にいろいろと思いを巡らせました。

 まず、手に取ったのがギターです。歌を作ってあげようというわけ。これなら2〜3年もしたら歌えるようになるかもしれないし、ひょっとしたら気に入るかもしれない。

 ところが、いくら頭をひねっても、腰をひねっても、1000円札をひねってみても、良いメロディが浮かんでこない。歌詞のアイデアもすごくたくさんあるんだけど、モヤモヤして一点にまとまってこない。

 5曲作った時点であきらめました。どれも全然気に入らない。なぜだろう。おそらく、ぼくにとって音楽は、もはや表現における一番の手法じゃなくなっているからじゃないだろうか。

 だとすれば、やはり書くことだ。じゃあ、何を書こう。ぼくは彼女が宿ったことがわかった日から誕生までのエッセイを書き始めました。

2006年5月8日 誰かぼくとスカッシュでスカッとしませんか?

クラブハウスがあるマンションになんてたぶん一生住まないと思う。なかなか立派

 夕方、マンション内のクラブハウスにあるスカッシュ場にはじめて足を踏み入れました。実は昨日の野暮用というのは、スカッシュのラケットを買うのが目的だったんです。

 日記を読み返すと、はじめてスカッシュをしたのが昨年の6月の終わりで、翌日もずいぶん熱心に練習したようです。上海でもやるぞ、と思っていたのですが、なかなか重たい腰は上がらぬまま、10カ月が経過していたわけですね。

 でも、歩いて30秒の距離にコートができたのですから、これは利用しない手はありません。相手がいないので、今日は1時間、ひとりで壁打ちスカッシュ(まあ、ふたりでも壁打ちではあるのですが……)。

まだ利用者がいないので、かなりきれい。言ってみればプライベートスカッシュコートだ
 いちおう、ラケットは2本買ってきているので、ぼくとゲームしてやってもいいという人はご一報を。相手になるレベルじゃないので、短気な人はやめたほうがいいと思います。優しくて、スカッシュの経験がそこそこあって、女子ならなお良し。

 のんきなことをいいながら、今日も考える人に。


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 ブログを始めることには、職業上の理由もありました。というのは、毎日せっせと原稿を書いていったとしたら、いったいどれくらい書けるものなのだろうか、という実験。

 依頼を受けている原稿の場合、ぼくだと1日に1万〜1万5000字くらいは書きます。内容にもよりますが、だいたいこのレベルで呼吸が浅くなって、書き終わると床に倒れて、15分間死体になる感じ。2週間くらい続けると、身体がボロボロになります。やわですから。

 でも、好きなことを書くという前提だったらどうだろう。いや、基本的に書きたくない。でも、書くとしたらたとえば1カ月でどれくらいの量が書けるのだろう。そして、それが1年ともなれば……という純粋な興味がありました。

 たとえば今日の原稿だと、だいたい1300字くらい。長い場合は3000字以上を書いていましたね。大ざっぱに言って、これまでの約1年間で書いた文字数は約60万字。一般的な書籍で考えると6〜7冊分というところでしょうか。書きも書いたり。ちょっと感慨深いものがあります。

 ということは、この1年の仕事をこなしながら、かつ自分のためにそれくらいの原稿は書けるということになります。これは、ずいぶんと自信になりました。“お金になる”仕事も含めると、いったいこの1年で何文字書いたんだろう。ちょっと考えたくない、というのが実感です。

 そして、こんないい加減な内容であっても、やはり書く以上は読者を意識するわけで、だからライターとして、きっと良い修行になるだろう、という目論見もありました。結果的に原稿を書くスピードは、かなりアップできたと思います。
 ちなみにぼくはこのブログを書くにあたって、ごく一般的なエディタソフトを使っているのですが、そのファイルの名称は「今年の修行」です(笑)。

 “お金にならないための仕事”なんて言いながら、ちょっといやらしいかな。でもね、ぼくにとっては24時間が全部仕事で、全部遊びみたいになるのが理想なんです。その意味では一歩そこに近づけたような気がしないでもありません。


2006年5月7日 人気のインドネシアン・レストランの実力

 野暮用で静安寺の久光そごうに行ったので、じゃあついでに近くで晩ご飯を食べて帰ろうと思い、以前から気になっていた、バリ・ラグナに行ってみることにしました。

 静安公園内にあるインドネシアン・レストランで、ウリはなんと言ってもそのロケーション。上海は春がとっても短いのですが、だからこそ今日のような心地よい夕暮れにテラス席で食事をするのはなかなかの贅沢です。

 先に言ってしまうと、料理の味は予想以上でした。ぼくはそもそもインドネシアンにあまり良い印象はないのですが、それを上海でここまでのレベルに持ってきていることは評価に値すると思います。ちょっと全体的に塩度が高いというきらいはありましたが…。

 値段は決して安くはありません。飲み物にもよりますが、1人200〜400元(4500〜6000円)といったところでしょうか。まあ、上海では高級店ということになると思います。

 でもね、やっぱりサービスはどうなんだろう、と。これはこの店に限ったことではないのですが、とくに高級店に行ったときに、人的サービスの低さにため息をつくことが少なくありません。

環境はとてもいい。バーとして利用するのも可。カクテルのレベルは知らないが
 今回は食前酒(アペリティフ)にペルノ&ソーダを注文したのですが、これがいつまでたってもやってこない。ついに料理が運ばれ始めたので、サーバーの女の子を呼んで「ぼくは食前酒を注文したんだけど…」と言うと、この食前酒という言葉が通じない。

 断っておきますが、メニューに食前酒と書いてあるのです。ぼくはメニューブックを指さしながら「この食前酒というのは、『料理の前に飲むといいですよ』というお酒なんですよ」と説明しました。彼女は「へぇ、そうなんだ」という顔で厨房のほうへ。

 どんどん料理がテーブルの上に運ばれるなか、ようやくやってきたのはペルノのロック。仕方なくソーダウォータを注文したのだけれど、これまたいつまでたっても運ばれてこない。結局、マネージャーを呼んで食前酒をキャンセルし、ワインを注文しました。

 上海なんだから仕方がない、と言われればまさにそうなんです。でも、メニューに載せる以上、食前酒とはどういう意味を持った飲み物なのか教えるか、あるいは対応できないならばメニューから外せばいいのにね。

 上海で一定の客単価を取るために、最も高い障壁となるのは、やはり人的サービスレベルをいかに向上させるかという問題です。あるいはできるだけ接客サービスを簡略化しながら高級感を維持するか。うーん、どちらも難しいんだよなぁ。

 人的サービスについて満足できる店をご存知の方は、ぜひお教えください。取材してみたいと思います。さて、気分を変えて「あとがき」の続き。


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 じゃあ、なぜ最大の目標として、ブログを書くことを選んだのか。実はいくつかの理由があります。
 まずは「空っぽな自分」の原因を探ると、どうも「考えるためのツール」がないということが大きな問題だと気づきました。なんらかのストラクチャを作ろうとしても、ドライバー1本、スパナ1個さえない。これまでは、それでクレーン車が必要な高層ビルディングに関する議論をしていたようなものです。

 考えてみれば、ぼくはこれまで体系だったものを学んだことはありません。時間をかけてやったことと言えば音楽で、まあこれも独学なので理論体系には弱い。ライターになってから経済学を学ばざるを得なかったのですが、これもどれほど通用するレベルやら。

 哲学や宗教、あっもちろん妖怪もだけど、いろんなことに興味はありましたが、たまに入門書みたいなものをさらさらと読んでみるくらい。そんなことで身に付くはずがありません。

 でも、子どもの頃から不思議な話は好きで、たとえば「タイムマシンは実現するのだろうか」「宇宙の果てはどうなっているんだろうか」といったことを考えては、ひとり怖くなっていました。その感覚は大人になってもなんとか持続していたのだと思います。

 ともあれ、何かを自分の頭で考えるための、基本的な道具を手に入れたい。そのためには、最も根本的なことから考えなければならないのだ、と思いました。たとえば「この世界はほんとうの世界なのか?」とか「自分とはなにか?」といったような、基本の基本(実際、このふたつの問いで、このブログのほとんどを費やしてしまったわけですが…)。

 でも、それだけが理由だったわけではありません。

2006年5月6日 西塘と杭州の日帰り旅行で将来について考える

西塘で見つけた看板。下のアルファベッドはピンインのはずなのだが……

 かくさんご夫妻をご案内される河原さんご一家にお供して、西塘と杭州の日帰り旅行に。このコースは2度目で、初めてのときのことはこちらをどうぞ。

 春の西湖は柳の緑が目にやわらかで、前回よりもさらに美しく映りました。上海の暮らしに疲れたときは、ちょっと足を伸ばして杭州を訪れてみてはいかがでしょうか。なんと歩行者のために、車が止まってくれるような街です。

 それだけで安らぎますし、自然の在り方が日本を思わせてくれることも心を静かにしてくれます。多くの中国料理レストランの味付けは優しく、油と砂糖と化学調味料から距離をとることもできます。

 できれば平日に良いホテルに泊まって、2〜3日過ごすととっても回復すると思います。実はぼく自身がそうしてみたい、という話です。

 行き帰りの車中で河原さんと長時間お話しすることができました。行きはぼくが最近考えていた決定論と人間の自由意志について。最近、河原さんとは因果律と縁について議論を重ねてきたので、だから決定論の不自由さにふたりで憤慨しました(ここは笑うところです。わかりにくいでしょうが…)。

 帰りは「元木はいつ小説を書き始めるの?」「おまえは50歳のときにはなにをしているの?」という、ぼくにとっては身の引き締まる質問を受けて、だから一生懸命に想いを語りました。

 今年は6月末から1カ月間、カナダのバンクーバーで過ごすことが決まっていて、この間は“お金になるような”仕事は一切お休みする予定。このモラトリアムを利用して、習作を1本書きたいと思っています。プロットはできていないけど、設定はなんとか……。まずはそこから、というところです。はい。
 心が安まると、身体が疲れるという定理に則って、実にくたくたですが、「あとがき」の続きを。


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 突如、上海への移住を決めたぼくは、4月までに仕事を整理して、残ったぶんは上海に持ってきました。だから最初の4カ月ほどは、まだかなり日本の仕事をしていました。同時にこちらでの生活になじんでいくのにも、けっこうな時間を割かなければならなかった。

 秋口になると、さすがに言葉を学ばなければと語学学校に通ったり、このサイトのビジネス解説の編集という仕事を請け負うことになり、初めてのWeb制作のために学習したり、雑誌連載が始まったりと、1日が慌ただしく過ぎるようになりました。

 しかし一方で焦りが出てきた。いったいなんのために上海に来たのか。収支がマイナスになってもいい。極端に仕事を減らしてでも、自分の頭で考えることをしたかったんじゃないのか。そのための読書が必要だと痛感したんじゃないのか。

 一般的な思考と反対かもしれませんが、お金を稼ぐための仕事(それは社会的に認知されるということでもあり、実はそちらのほうがぼくにとって大きな報酬だと思う)に夢中になってしまうことから、なかなか離れられない自分を感じました。

 そこで、「なにかまったくお金にならない仕事を自分に課して、それをこれから1年間の最大の目標としよう」と決めたのです。そのとき、上海に移住してからすでに1年が経とうとしていました。

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