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第10回 魯迅故居&魯迅記念館

故居


記念館ロビー吹き抜け

 今回は、中国近代文学の父魯迅(1881〜1936年、本名:周樹人)が、晩年を過ごした故居と記念館をご紹介します。
 魯迅は、1881年9月25日、紹興にて生まれました。16歳で父と祖父を相次いで亡くし、生家は没落していきます。その後、1898年南京に赴き、勉学に励みます。 優秀な成績を収め留学資格を得た後、1902年3月日本へ向けて出発、同年4月横浜港に到着します。
1904年東京の弘文学院(中国人留学生の為の速成教育学校)を卒業後、医学を志すことを決心し仙台の医学専門学校へ入学します。30代半ばの若さで無くなった父親の様な病人を治療し、戦争時には軍医として赴きたいとの意向だったようです。
 しかし、その後魯迅の決心を大きく揺るがす出来事に遭遇し、医学から文学へと転じることになります。
1906年、魯迅は授業の合間に見た映画の中で、『一人の中国人が日本軍人によって処刑されようとしているのを多くの中国人達が無関心の様子で見物しているシーン』を見ます。その時、魯迅は、人々の精神に訴える事の方が医学で病人を治療する事よりも重要なのだという思いにかられ、医学校を退学し東京へ戻ります。
 東京にて創作活動を続けたのち、1909年に帰国します。杭州、南京、北京などで教師を務めた後、厦門、広州を経て、1927年に上海へ居を定めます。上海へ移って間もなく、日本人書店主の内山完造と知り合い、親交を結ぶこととなります。  魯迅故居周辺は、以前は日本人が多く居住していた地域で、内山書店も近くに有りました。革命志向を抱きつつ、文学活動、新文化運動を行い、1936年上海にて没します。
(参考文献:上海書店出版社 魯迅記念館編 『魯迅画伝』)

【魯迅故居】
 
交通案内
住  所
山陰路132弄9号
電  話
6473-0420
アクセス
バス 18・21・70・97・231路
利用案内
入場料
4元
開館時間
9:00〜16:00
休館日
無休 

 故居は路地の奥の方で、山陰路の入口門脇に案内プレートが有りますので、奥に進みます。故居の向かって右隣が事務室になっています。扉を開けて、「参観したい。」と伝え、チケットを購入します。係員が故居の鍵を開けて、室内を案内してくれます。

※注意事項:
故居内撮影禁止。
 
故居案内
1階
客室・食堂・(台所・・・未公開)
中2階
浴室 
2階
書斎兼寝室・物置
3階
子供部屋・客用寝室

★故居内部
  故居は、赤煉瓦造りの大陸新邨の一室で、3階建てのテラスハウスです。魯迅は、1933年に転居し1936年に没するまでの間、晩年をこの家で暮らします。未亡人からの家具や遺品の寄贈により生前通りに復元され公開されています。
 1階は、手前が客室になっており応接セット等が置かれ、間仕切りの奥が食堂になっています。戸棚の中には生前に使用していた食器類が収納されています。奥は台所ですが、現在は公開されていません。階段を昇ると中2階が有り、浴室が有ります。バスタブや洗面台も完備された立派な設備です。
 2階の階段脇には、物置が有ります。奥が、書斎兼寝室で、机、本棚、小テーブル、ベッドなどが置かれています。魯迅は、1936年にこのベッドの上で亡くなりました。
 3階に上がると、客用の寝室が有ります。室内にはベッド、机、書棚が置かれ、書棚には日本で買い求めた美術全集が収められています。奥の広い部屋は、息子のための子供部屋です。魯迅は息子を可愛がっていたそうで、気持ちよく整えられた部屋の様子からも、魯迅の子供に対する愛情が感じられます。 

【魯迅記念館】
 
交通案内
住  所
四川北路2288号 魯迅公園内
電  話
6540-2288
アクセス
明珠線「虹口足球場駅」より徒歩10分
バス 21・52・70・79・139・512路
利用案内
入場料
5元(学生2元)
開館時間
9:00〜17:00(入館16:00まで)
休館日
無休 

 記念館は魯迅公園内に有り、上記の入館料の他に、公園の入園料2元が必要です。記念館の敷地内の左手前にチケット売り場が有ります。日本語、英語の簡単な説明書も購入できます(2元)。記念館内に入ると、吹き抜けのロビーになっており、展示室は2階です。
 元々、記念館は、故居の隣にありましたが、1999年に現在地に新館がオープンしました。模型や写真パネル等を用い、時代順、テーマ別に展示されており、大変見やすい展示となっています。 
※注意事項:
展示室内撮影禁止。
 
施設案内
1階
ロビー・売店・朝華文庫・特別展示室など
2階
展示室・売店 

 
★展示室
  2階の展示室の入口には、魯迅の生涯の軌跡を表現した6枚のレリーフが飾られています。展示室内に入ると、「阿Q正伝」の一場面を模型化した展示物が有ります。
 日本留学時代のゆかりの品(大学の講義ノートや恩師である藤野先生への手紙)も並べられています。また、藤野先生が魯迅へ贈った、自身の写真も展示されており、医学から文学へ転じる頃の様子を伺い知ることができます。魯迅が、文学活動へ転じるきっかけとなった映画の一場面もパネルで展示されています。
 魯迅は、外国との文化交流にも力を注ぎ、多くの外国文学作品の翻訳を手がけています。住まいの近所に有った内山書店の店主、内山完造とは深い親交を結び、内山が魯迅へ贈った銀杯や内山夫妻の肖像写真も展示されています。展示室内の一角には、内山書店を模した売店が有り、書籍類が販売されています。
 一方、文学や木彫を志す若者を物心両面から支援するなど後進の指導にも務め、青年達の信頼と尊敬を集めたそうです。
 魯迅は肺病で亡くなりますが、当時のレントゲン写真、体温記録、吸入器、他にも傘などの愛用の品が展示されています。展示室の最後に、デスマスク(本人の本物の髭が数本埋め込まれている)、葬儀の様子の映像、多くの著作品の展示が有ります。
 展示室内を通して、原稿や映像が多く展示され、写真も多く、魯迅の生涯の軌跡と当時の時代背景を追うことが出来るでしょう。 
★売店
 1階の売店では、魯迅の代表作「阿Q正伝」の日本語版(30元)やお土産物が販売されています。


 


※ちょっと寄り道

 魯迅記念館は、魯迅公園内に有りますので公園内の散策を兼ねて、同公園内に有る魯迅墓も訪れてみてください。墓所には椅子に腰掛けた魯迅像が有り、周辺は植木の手入れも行き届いています。
 また、故居からほど近い場所に内山書店跡地が有ります。現在は銀行になっていますが、銀行の外壁にパネルと、魯迅と内山完造のレリーフが有ります。
 多倫路には、カフェや小物のお店などが有り、昔の上海を再現した通りになっています。カフェに立ち寄って休憩するのもいいでしょう。四川路は、商店街になっていて、多くの人で賑わっていました。ちょっと、ごちゃごちゃした雰囲気ですが、面白そうです。
 この界隈には、日本人が多く住んでいた頃の古い建築物も残っていて、地図を片手にお散歩するのもお薦めです。

魯迅墓


敷石に書かれた字

1.味千ラーメン 2.山根会所(レストラン&バー)
3.老電院(カフェ) 4.咸亨酒店(紹興料理)
5.新華外文(外国語学習教材他)

☆魯迅公園では、敷石の上に筆と水で字を書いている人、太極拳をしている人・・・思い思いに楽しんでいるようです。家から遠いので、なかなか足が向かない場所なのですが、周辺には赤煉瓦造りの住居が残り、人々の生活の音がして味わい深い界隈です。だんだんと姿を消していくのかもしれない風景を帰りのバスの中から眺めながら、家路へとついたのでした。(な) 


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